創業130年の老舗が新社屋を地域コミュニティの拠点に/住宅メーカー代表・桐ケ谷覚さん(逗子市)

by 宮島 真希子 | 2013年2月12日 10:54 PM

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建て替え後の社屋を地域コミュニティの拠点として開放している桐ヶ谷覚さん=逗子市

建て替え後の社屋を地域コミュニティの拠点として開放している桐ヶ谷覚さん=逗子市

ここ数年、逗子市内で行われるイベントの主催者・企画者の多くから「あぁ、それなら”彼”に相談してみよう」と頼りにされている人がいる。その人が、住宅メーカー「株式会社キリガヤ」の代表取締役・桐ケ谷覚さん(逗子市山の根)だ。創業130年・老舗の5代目社長で、東日本大震災の被災地(主に岩手県陸前高田市)を支援する「みんなでがんばろう逗子PROJECT」の代表でもある。

2012年に完成した新社屋(敷地約826㎡、床面積約595㎡、3階建て)の1階と3階にはコミュニティスペースをつくり、市民に広く開放している。大きな企業がほとんどない逗子市にあって、市民のために場所・人力を提供する企業は市民の大きな支えとなっている。地域コミュ二ティの活性化や被災地支援活動に対する思いを聞いた。

市民と交流できる店づくりを

桐ケ谷覚さんは秋田県大館市の食料品卸問屋の次男として生まれた。「生活=商売」という親の背中を見て育ち、「当然自分も商売をやるものだ」と思っていたそうだ。社会人になる頃に出会った妻の実家が1882年(明治15年)創業の材木屋・キリガヤだった。

見習いとして入社し、高度経済成長期終盤の1970年代、建設・建材業界はまだ右肩上がりに利益を伸ばしていた時代だったが、旧態依然の木材の流通現場に接し、「このままこの商売が続くはずはない」と世の中の変化を厳しい目で捉えていた。

案の定、工務店に資材を卸すだけの材木屋としてだけでは経営が厳しくなった。そこでウッドデッキパネルを製造販売したり、システムキッチンのショールームをオープンさせたりと「材木屋」という枠を超えた戦略で、業績を伸ばしてきた。

先代から社長業を引き継いだのは1992年、43歳の時。一貫しているのは「木の良さをしっかりと伝えていくのは材木屋の使命だ」という思いだった。「家のみえる構造部分に木を使いましょう」と言い続け、木のぬくもりの良さを感じられる「家づくり」も始めた。1996年にはガーデン事業部を設立、自然と調和した住まいづくりを提案してきた。

ところが、1921年に建てた旧店舗は材木が入口に立てかけてある昔ながらのつくり。住まいづくりを相談したいお客さんから「中に入りづらい」と言われることも多かった。そこで今回、新社屋建設にあたっては「地域の人たちに気軽に来てもらえるような敷居の低い店づくり」を考え、コミュニティスペースを設けることにした。

移転にあたり、桐ケ谷さんは「逗子市以外の場所も考えた」そうだ。しかし結局、JR横須賀線の線路沿い、逗子市内の場所に拠点を決めてからは「人口10万人3万世帯(逗子市・葉山町・横須賀市田浦~横浜市金沢区六浦周辺)の地元エリアの家をしっかり守っていこう!」と決意した。社屋移転は、市民の生活の場を改めて見つめる機会となった。

会社のイベントから、市民のイベントへ

キリガヤでは木に親しむイベント「キリガヤ祭」を年に1回開催している。2012年に9回目となるこのイベントは親子連れを中心に人気があり、約1500人が来場する。

スタートしたきっかけは、1985年に当時小学校3年生だった次男の夏休みの木工の宿題。友だちなどが工作用の木を探しに来ても家造り用の木はごつくて大きく、子どもには手に負えないものばかり。

そこで、桐ケ谷さんは「子どもにも木に楽しんでもらえるイベントにしよう」と企画。取引先の産地の製材所に協力してもらい、薄く削った木材を大量に用意して、無料で使い放題にしたところ、入場者数は1回目から250名、500名、800名と年々増え、5回目は1200名を越す大きなイベントに育った。手伝いの大工さんたち15名は昼食も食べられないほどフル活動。多くの市民に喜んでもらえるイベントに成長したのだが、予算がオーバーするなど運営が厳しくなり、一旦休止となってしまったという。

時が流れ、当時小学3年生だった息子が同社に入社し、「祭りを復活させよう」と言い出した。かつてのイベントを経験していた社員は2人しかいない。息子たち若者世代が中心になって祭りを開くために奔走し、2009年に再開にこぎつけた。

復活を懐かしんだのは以前のにぎわいを知っていた同じ商店街の人たち。焼き鳥・おでん・焼きそば・手作りパンなどと応援してくれ、貝細工の教室、フリーマーケット、ウクレレの演奏などもあり、1000人を超す盛況ぶりだった。社内のつながりだけで行なっていたかつてのイベントから、商店街などを巻き込む地域のイベントに変化しつつある。

これも、町や商店街のイベントに、協賛金など「お金」を負担するだけだった以前の支援の方法を変え、桐ケ谷さん自らが会合に顔を出してコミュニケーションを図り、社員が参加したり備品をなど提供したりと「顔が見える支援」に切り替えて、つながるようになったことで生まれた結果だ。

さらに、町のイベントに顔を出すようになり、さまざまな立場の人と話をすることで町の中の課題もみえてきたそうだ。まちづくりの課題など市長とも直接意見を交わせることができるようになった。

逗子市のごみ問題×陸前高田の復興支援

さまざまな地域課題に気づき、行動し始めていた桐ヶ谷さんが、さらに一歩踏み込んで、コミュニティに関わるようになった契機はやはり、2011年3月11日の東日本大震災だったという。

震災後、桐ケ谷さんは「みんなでがんばろう逗子PROJECT」の代表となり、「星の王子様」ならぬ「星のおじさまプロジェクト」をスタートさせた。支援先は、十数年前から親交のあった岩手県陸前高田市。被害は甚大だった。震災直後から関わっていた桐ヶ谷さんは、その時々に応じて被災地に必要な仕組みや仕掛けを考え、逗子市民の力をプロジェクトに集めて、息の長い支援を続けている。

被災直後は、食料を運び入れて炊き出しを実施し、ほどなくして自転車やバイクなど「移動手段」を届けた。さらに、避難した住民同士が交流する場の必要性を感じ、募金を集めて縁台を作ってプレゼントするなど、時間の経過につれて変化するニーズをとらえた支援を展開している。

2011年8月には仮設住宅にこもり、するべきことがなく日に日に元気をなくしていくお年寄りを見て「被災地の人が生き生きと働ける環境と自立できる経済の仕組みが必要だ」と、本業のノウハウも生かして陸前高田市竹駒地区で食堂建設に着手した。

「みんなでがんばろう逗子project」の支援で、陸前高田市に建設された「竹駒食堂」=NPO法人遠野まごころネット提供

「みんなでがんばろう逗子project」の支援で、陸前高田市に建設された「竹駒食堂」=NPO法人遠野まごころネット提供

2012年10月14日、地元の業者と協力して木造平屋約70㎡(総工費約700万円)の「竹駒食堂」が完成した。プロジェクトでは、建物建設費や調理器具などの費用を支援し、地域の新たな交流拠点と雇用創出の一助を担っている。

一方、地元の逗子市では「環境」についてアクションを重ねている。逗子市では、「ごみの減量化」が1997年(平成9年)ごろから課題となっていた。

逗子市では、2011年度から3ヶ年継続事業として、老朽化が著しい焼却施設の大規模改修工事を実施している。燃やすごみは近隣自治体の焼却場に処理を依頼しており、市は家庭から排出されるごみの減量化について市民に協力を求めている。
こうした状況を知り、以前から逗子のごみ処理について関心を持っていた桐ヶ谷さんは、隣の葉山町の町民が開発した家庭用生ごみ処理機「バクテリア de キエーロ」で使う木箱製造を依頼された。

「有機分解資材」という特別な黒土が入った木箱に生ごみを投入して、土とよく混ぜると数日で分解するシンプルな仕組みだ。この箱を「キリガヤ」では現在までに100箱近く製作。その木箱製作に、陸前高田市で立ち枯れになった杉を活用することで被災地支援にもつながった。

「ごみの4割を占める生ごみを減らして市の焼却費用を減少させることができれば、商店街活性化のために使えるかもしれない。利便性が高まれば、市民が買い物に来る機会も増え、商店街も元気になる」。逗子市とともに、「市民に活用を呼び掛けている。市とともに家庭用生ごみ処理活用機を進めている桐ヶ谷さんの中には、そんな構想も浮かんでいる。

市民に開放したコミュニティスペースでは、さまざまなイベントが開催されている

市民に開放したコミュニティスペースでは、さまざまなイベントが開催されている

キリガヤのコミュニティスペースには様々なイベントが、日々、市民から持ち込まれている。公的施設と異なり、飲食が可能なため、イベント後の打ち上げで利用されることも多い。桐ケ谷さんも一緒に参加しては、お酒を飲みながら話が弾むそうだ。「わたしは若いころから”回遊魚”なんですよ、動いていないと落ち着かなくて」と忙しさも苦労ではなさそうだ。

キリガヤ株式会社

キリガヤ2012年の様子

バクテリアde キエ―ロ

「ほっ」温もりあふれる母ちゃんの味~陸前高田市に竹駒食堂OPEN
NPO法人遠野まごころネット

 

Source URL: http://kanamag.net/archives/56339