小田原の森を活用して福島県相馬市の復興支援
「報徳の森プロジェクト」実行委員会会長・近藤増男さん、事務局・永井壯茂さん


報徳の森プロジェクト実行委員会会長の近藤さん(左)と事務局の永井さん=小田原市久野、同市森林組合貯木場で

報徳の森プロジェクト実行委員会会長の近藤さん(左)と事務局の永井さん=小田原市久野、同市森林組合貯木場で

江戸時代後期の農村改革指導者・二宮尊徳が説いた「報徳思想」。余力や金銭を社会のために譲り合う「推譲(すいじょう)」の精神に代表されるその教えは、尊徳の故郷・小田原で今でも、受け継がれている。そのあらわれの一つが「報徳の森プロジェクト」だ。

小田原の市民や事業団体が主体となった官民一体の同プロジェクトは、小田原産の木材を活用し、東日本大震災の被災地・福島県での住民交流の場づくりや地場産業再生・雇用創出などに貢献する内容だ。支援先は、「報徳思想」を通じて歴史的に縁のある福島県相馬市。地元のNPO法人と連携し、現地のニーズを的確に把握しながら、継続的な支援を続けている。民間側のキーパーソンで、造園業を営む近藤増男さん(66)と、公務員の立場でプロジェクト全体の連絡調整役を担う小田原市役所職員の永井壯茂(ながい・たけも)さん(38)は「復興を機に、新たに始まるブランドやビジネスがあってもいい。報徳の森プロジェクトで、小田原と相馬の新たな“歴史”をつくっていきたい」と意気込んでいる。

小田原と被災地の課題を協働して解決

戦国時代から、城下町・宿場町として栄えてきた小田原。市農政課によると、市内には約4000ヘクタールの森林があり、約7割をスギ、ヒノキの人工林が占める。しかし、他地域同様、木材価格の低迷によって、林業の担い手は不足し、間伐もままならない状況が続いている。

一方、2011年3月発生した東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所の事故の影響で、相馬市では森林資源が活用できなくなってしまった。「荒廃する森林を再生し、林業を経済的に成り立たせていくためには、森に手を入れる機会を増やしていかなければならない。小田原産木材を活用して、相馬市の復興支援ができないか」。この「報徳の森プロジェクト」は、そんなコンセプトで走り出した。

“前身”となったのは、地元の市民や事業団体、行政による「無尽蔵プロジェクト 環境(エコ)シティ」と「おだわら森林・林業・木材産業再生協議会」。両団体メンバーが中心となり、報徳の森プロジェクト実行委員会は2011年12月に発足した。会長は、小田原市環境緑化協会会長である近藤さん。市農政課が事務局となり、活動をサポートすることになった。

近藤さんは「議論ばかりしていても何も始まらない。まずは行動を」と奮起。同月には最初の活動として、相馬へクリスマスツリーになるモミの木3本を寄贈した。プロジェクトのメンバーが自らトラックで運び、小田原特産のミカンやカマボコも一緒に届けた。あわせて、相馬に避難している福島県飯舘村の人々が運営する農園施設へ、防寒対策用内装材として一寸厚みの杉板77枚(2トントラック1台分)も贈った

「相馬はらがま朝市クラブ」との出会い

2011年12月、相馬に据え付けられたクリスマスツリー(報徳の森プロジェクト提供)

2011年12月、相馬に据え付けられたクリスマスツリー(報徳の森プロジェクト提供)

小田原と相馬は、「二宮尊徳」を通じて歴史的なつながりがある。江戸時代の相馬中村藩士・富田高慶は尊徳に弟子入りし、報徳思想を相馬で実践。さらに、尊徳の伝記「報徳記」を記したことで知られている。

こうした歴史的な縁で、両市は2011年9月に「災害時における相互応援に関する協定」を締結。生活物資の提供や職員派遣、被災住民の受け入れを申し合わせていた。プロジェクトを開始するにあたって、まず相馬に着目したのは自然な流れだった。

震災直後の2011年4月、林野庁から小田原市へ出向した永井さん=市経済部管理監=は、林業の振興活性化にかかわる傍ら、プロジェクトでは初期段階から事務局・コーディネーターの役割を担ってきた。

永井さんは、相馬市役所や同市の社会福祉協議会などに問い合わせ、小田原の木材を活用した復興支援を打診してきたが、なかなか具体化しなかった。ようやく10月に「小田原・箱根産業まつり」に出店した「NPO法人相馬はらがま朝市クラブ」(高橋永真理事長)と出会い、プロジェクトが具体化することになったという。

「相馬はらがま朝市クラブ」は、相馬市原釜の水産加工業者などで構成され、被災者自身による被災者支援に取り組むNPO法人。震災発生後の5月から、毎週末欠かさず朝市を開いて地域を元気づけるほか、リヤカーで仮設住宅を巡回して生鮮食料品を販売しながら、住民への声掛けをするなと、地道な活動を続けている。

永井さんは「緊急時には支援物資はもちろん必要ですが、地元産業を再生し雇用を生み出すことが、本当の意味での復興になることが分かりました。地域でお金を回す仕組みが必要だと考えていたとき、相馬に小田原木材で直売所を建てることを思いつきました」。小田原と相馬、互いの課題を解決するために目指すかたちが「直売所」という施設づくりに具体化した。

支援を通じて生まれた交流

報徳庵(報徳の森プロジェクト提供)

報徳庵(報徳の森プロジェクト提供)

相馬市は震災前、漁業が盛んな町だった。しかし東京電力福島第一原子力発電所の事故によって拡散した放射能の海洋汚染で、水産業を続けることが困難になってしまった。そこで、小田原が原材料を提供し、相馬で加工・販売して、地元の経済を活性化させる取り組みを始めた。

住民が集い、コミュニティーを再生させる拠点も必要と、震災発生から丸1年となった2012年3月11日、小田原から運んだ木材(4トントラック2台分)を内装材に使った直売所兼レストラン「相馬報徳庵」が相馬市塚田にオープンした。相馬報徳庵は同法人が運営し、小田原はじめ全国からのボランティアを受け入れる民間の窓口としても活用されている。

さらに同法人を通じ、同市で被災したパン販売店へ小田原や南足柄産のヒノキやスギ材を提供、同年5月の営業再開を後押しした。小田原産木材を使った建物が3棟になり、うち1つは復興支援拠点にもなった。同法人の髙橋理事長は小田原の支援へのお礼として、2012年1月に小田原市役所を訪れ加藤憲一市長に「報徳記」8巻を寄贈し、感謝の想いを伝えた。

被災地への関心を持ち続けてほしい

小田原市役所で行われた「報徳記」贈呈式(報徳の森プロジェクト提供)

小田原市役所で行われた「報徳記」贈呈式(報徳の森プロジェクト提供)

1年目に続き、2012年12月にもクリスマスツリー2本を相馬へ贈った。2013年春には、相馬市内にボランティアなど支援者が宿泊する施設へ木材を提供する予定もあり、着々と準備がすすんでいる。

プロジェクトには、小田原市の予算は使われていない。市民からの寄付や国の補助金などで運営している。活動資金の確保が目下の課題という。木材を運んだり施設のオープンに立ち会ったりして「相馬には6、7回は行った」と振り返る近藤さんは、「訪れてみて初めて気づくことは多かった。小田原の木材がどう使われているかを見るだけでもいい。一度相馬に足を運んでほしい」と呼びかける。

これからも、相馬への支援は続く。「ものやお金を送るだけでなく、地域で事業ができる基盤をつくるのが本当の意味での支援。復興を応援したいという気持ちは皆が持っているが、声をかけたり交渉したり、調整したりする人間を育てることもこれからは重要です」と永井さん。「神奈川、そして小田原の皆さんには被災地への関心を持ち続けてほしいし、多くのひとにプロジェクトに参加してもらいたい」。フェイスブックなどソーシャルメディアを通じて情報を発信し、協力を呼び掛けていくという。小田原と相馬の市民による新たな交流は、2つのまちの共通の歴史として、着実に形になりつつある。

【報徳の森プロジェクトへの寄付振込先】さがみ信用金庫 久野支店 普通 口座番号 0676877 報徳の森プロジェクト
【報徳の森プロジェクト連絡先】houtoku.forest@gmail.com  0465-33-1491(小田原市役所農政課内)「差し支えなければ住所・御氏名・ご連絡先をメール等にてご連絡ください。領収書等を発行させていただきます」と同課。

【関連記事】小田原・箱根産業まつりに「相馬はらがま朝市クラブ」が出店!小田原からの支援への感謝と風評被害に負けない想いを伝えたい!(かなマグ.net 2011年9月27日)

http://kanamag.net/archives/18731

▽報徳の森プロジェクト(小田原市ホームページ内)

http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/envi/environment_project/houtoku/hotokunomori.html

▽報徳の森プロジェクト facebookページ

https://www.facebook.com/houtoku.forest

▽NPO法人相馬はらがま朝市クラブ ホームページ

http://www.ab.auone-net.jp/~haragama/

▽NPO法人相馬はらがま朝市クラブ facebookページ

https://www.facebook.com/haragama

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