小田原市で慰霊碑を守る取り組み。終戦記念日によせて、戦争遺跡を「語り部」として地域全体で守っていきたい。


戦争の「語り部」守る住民ら、墜落死した陸軍中佐の慰霊碑移転/小田原:ローカルニュース :  カナロコ -- 神奈川新聞社より

戦争の「語り部」守る住民ら、墜落死した陸軍中佐の慰霊碑移転/小田原:ローカルニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社より

本日8月15日は、66回目の終戦記念日。戦争を知らない世代がますます増えている中、神奈川県で戦争遺跡を守り続けている方たちがいます。
小田原市沼代では、ミカン山に墜落死した陸軍中佐の慰霊碑が、地元住民の手で守られ続けているそうです。

太平洋戦争末期、小田原市沼代のミカン山に墜落死した陸軍中佐の慰霊碑が、地元住民の手で守られ続けている。関係者の高齢化が進み、お参りが大変になり、昨年10月には住民が用地と費用を負担し山から住宅地の道路沿いに移した。保護行政の遅れのある現状に、住民の努力と善意によって、戦争遺跡の維持管理が行われている。
慰霊碑の移転は、沼代の林洋子さん(69)が中心となって行った。林さんの義父・唯四郎さんが建立に携わり、その遺志を受け継いだ。唯四郎さんの弟も戦死したという。

林さんは「山の中にあったのでお年寄りが訪れるには難しくなった。慰霊碑の世話は五十回忌を区切りに自治会から遺族会に移り、高齢化の問題に直面した。今後は子孫に守ってもらいたい」と話している。
林さんの前に世話役だった男性が2003年に亡くなったため、市への管理委託も要望したが、実現しなかった。今回、墜落現場に残っていた市の案内板の移設にも半年余を費やした。
林さんは「私が元気なうちにやっておかないとの思いがあった」と語る。移動距離は直線で約800メートル。遺族会の予算に限りがあるため、用地と費用を自ら負担、山の中の手間のかかる工事を請け負ってくれる業者を探し、移転にこぎ着けた。

戦争の記憶が薄れ、体験者が減る中で、こうした戦争遺跡を「語り部」として地域全体で守っていくことが求められる。

【情報源】
戦争の「語り部」守る住民ら、墜落死した陸軍中佐の慰霊碑移転/小田原:ローカルニュース : カナロコ — 神奈川新聞社
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1108140010/

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