東日本大震災からの復興を支援する神奈川県民の「つながり力」を信じています –植山利昭さん(神奈川災害ボランティアネットワーク)


▼「大変なことになった」

3月25日、県民サポートセンター2階の大ホール入り口には長い行列ができていた。

年度末の金曜日、平日にもかかわらず、OL風の若い女性から学生、シニア…世代も背景もひとくくりにはできないさまざまな個性を持った人たちが会場に続々入ってきた。用意された約200の席はほどなくいっぱいになった。友人・仲間連れ、という人は少ない。

前方ステージ脇にいた神奈川災害ボランティアネットワーク副代表の植山利昭さん(63)=川崎市川崎区=は「これは大変なことになった」とずっしりと重い責任を感じながら、緊張感あふれる面持ちで着席する人たちを見つめていた。ほどなく「東日本大震災・神奈川県内一時避難所ボランティア登録説明会」が始まった。神奈川での東日本大震災・災害ボランティア活動が、まとまった形でスタートした日となった。

「1000年に1度」と言われる津波を引き起こした東日本大震災の発生直後、神奈川県は「災害対策本部」と「神奈川県災害救援ボランティア支援センター」を設置した。もともと「神奈川が被災地になる」という想定で考えられたこのスキーム、遠隔地からの被災者受け入れや長期的な「ボランティア派遣」という事態に目配りされた体制とはいえなかった。

東日本大震災発生後から、県などには「どうしたらボランティアができるのか」という問い合わせが途切れず、情報提供のために緊急で設けたメールマガジンは、設置後2日間で200人近くが登録する関心の高さだった。ただし、神奈川県自体は、ボランティアを登録し、ニーズに照らしてマッチングを行い、経験を共有していく継続的な体制を内部に持たない。

この機能を、民間の立場で担ってきたのが神奈川災害ボランティアネットワーク(KSVN)だ。植山さんは1995年、阪神淡路大震災後に設立されたこのネットワークの創立メンバーで、実務を取り仕切る副代表。阪神以来、新潟県中越地震、宮城県北部連続地震やそのほか豪雨・水害被災地などの支援を各地域ネットワークと連携して実行してきた。

▼根を張る地域で活動を

京都で生まれ転勤族の親とともに各地を転々としたという植山さん。「災害」との初めての接点は、小学校高学年のころ経験した伊勢湾台風だ。1959年(昭和34年)に、紀伊半島から東海地方にかけて大きな被害を及ぼしたこの台風によって「学校が避難所になったり、友人の親が亡くなった」原風景を覚えている。
70年代安保のまっただ中で関西地方の大学生となった植山さんは、沖縄県に移り住み休学。やがて中退した。沖縄のまちに溶け込もうと3年ほど暮らしたが「ここは自分の場所ではない。根を張る場所で地域をよくしなければ意味はない」と悟ったという。

30年ほど前に川崎市に移り住んでからは、塾の経営のかたわら、積極的に地域にかかわった。川崎市の姉妹都市である中国・瀋陽市などに日本語教材を送るボランティア活動を開始。当時の川崎ボランティアセンター(現・かわさき市民活動センター)を積極的に活用し、市内でさまざまな人脈を広げた。「地道な活動でしたが、人と人のつながりを大切にしていけば、案外やりたいことは実現できる」と植山さんは話す。

その教材を送るボランティア活動が一息ついて休止したときに、阪神大震災が発生した。1995年1月17日だった。

▼魂を入れ、信頼築く

当時、両親が西宮市のマンションに住んでいたため、他人事ではなかった。交通機関が復旧するとすぐ、1月24日に現地入りした。災害ボランティア、という言葉も知らず、何をするのかもわからないまま、避難所に行き、被災者と話した。2月、3月と続けて被災地入りし、継続的な体制作りが必要だと痛感。3月25日に、神奈川県内で初めての災害ボランティア組織「かわさき災害ボランティアネットワーク」を立ち上げた。さらに県内自治体の枠を越えた市民間の連携を実現し、県内の地域防災力を高めていこうと「KSVN」を設立した。

長年災害の現場で活動してきた植山さんは言う。「災害ボランティアで大切なことは、とにかく現地で被災者の人たちと話すこと。そこから絶え間なく変化するニーズを探ること」だという。ただし、被災した人たちが知らない他人にすぐに口を開くことは少ない。「してほしいことを自分から言えない人はたくさんいる。

私たちは”御用聞き”のように、ていねいに耳を傾ける必要がある。かたちだけでなく、魂を入れないと信頼は築けないし、被災者が本当に望んでいること、感じていることを話してもらえない」。その思いも含め、多くの経験を災害ボランティアコーディネーター講座としてプログラムとして整理し、いつやってくるかわからない「非常時」に貢献できる人材育成を目指している。


冒頭に記した「県内一時避難所ボランティア登録説明会」には、3日間で約700人が登録した。さらに、KSVN・県・県社会福祉協議会の3者が設置した「かながわ東日本大震災ボランティアステーション」が4月から本格稼働。6月末で、登録ボランティアは約1,600人、ボランティアバス利用者は延べ1,000人となった。情報発信・ボランティアコーディネートなど後方支援を行うコアメンバーの活動拠点は、県民活動サポートセンター11階に設置された20坪ほどのスペース。毎日約20人から30人、週末になると50人程度が訪れて活発に活動中だ。

▼被災地と県民をつなぐ

今後の課題は、長く続くであろう東北復興支援を神奈川でどう継続して支えていくか、そのしくみ作りと、神奈川の防災・減災計画策定に市民の声をどのように反映させていくかという「被災地と神奈川」二つの現場での市民参加だという。「震災は不幸なできごと。だが、今年を契機として、人におまかせ、でなく自分たちの力で災害に負けないまちづくりもやっていこう、という価値観に転換していかないと。KSVNは、被災地に役立ち、学んだ人たちの経験を、神奈川で共有しつなげていく活動をしっかりとやっていきたい」。

始まったばかりの復興支援の道のりと「今、わたしができることは?」と問いながら動き始めた市民たち。その活躍の舞台づくりが植山さんの肩にかかっている。

植山 利昭(うえやま としあき) プロフィール
京都市生まれ 川崎市川崎区在住30年

・ 川崎・災害ボランティアネットワーク会議 代表
・ 神奈川災害ボランティアネットワーク 副代表
・ 川崎防災ボランティアネットワーク 副代表
・ かながわ災害救援ボランティア支援センターサポートチーム代表
・ 内閣府防災ボランティア活動検討委員会委員

1981年より、学習塾の手伝いをしながら「上海・瀋陽に神奈川文庫をつくる会」の事務局長として毎年10万冊の教材を送り続けるなど日本語教育の支援に取り組む。
1995年の阪神・淡路大震災を受け、(財)川崎ボランティアセンター(現在のかわさき市民活動センター)と協力し、「阪神・淡路大震災の教訓を川崎のまちづくりに活かそう」を合言葉に県内で最初となる、川崎・災害ボランティアネットワークを立ち上げた。
現在、かながわ県民活動サポートセンターのボランティア・市民活動のアドバイザーとして活動する傍ら、「かながわコミュニティカレッジ」において「災害救援ボランティアコーディネーター養成講座」の開催に携わり、災害に備えた「日ごろから顔の見える関係づくり」を訴えてきた。
今回の大震災では、かながわ災害救援ボランティア支援センターサポートチーム代表として、被災地・被災者支援における中心的な役割を担っている。

▽神奈川災害ボランティアネットワーク
http://ksvn.jp
<関連記事>
▽「県民センターで、神奈川発の「復興支援」を考えるワークショップ」(ヨコハマ経済新聞)
http://www.hamakei.com/headline/6205/
▽「被災地に行かずしても、できる支援を考えよう!あなたのアイディアが形になるかも!7/10(日)「神奈川ダイアログ~かながわから、私たちにできることを考える~」第2回ワークショップ実施」(かながわタイムライン)
http://kanamag.net/archives/4807

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